悪意はまっすぐに刺さる 好意は取り囲む 不幸の祈りは届いても 幸せの祈りは 願いでしかないように
感覚を研ぎ澄ませる、という行為についてわかり始めたということは、 感覚が鈍ってきたということだろう 思春期の、煩わしいほどの情報量を思えば―― 失いたく、ないあの愚かで美しい奔流を
幸福の絶頂というよりは こうあるべきだという意識のほうが強い やっと取り戻した 安心感
そうじゃなくてさ 君は道をそれてもいきつづける力と覚悟はあるの? ってこと
求めていたはずの光りに照らされ自らを傷つけていることに気付くそうしなければ生きてはいけないけれど。
そのはじまりを。
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